剣術指南の変遷 - 戦国時代と江戸時代の違い

兵法(剣術)指南といえば、主なイメージは、「道場を構えた道場主が弟子たちに教授する」というものですが、では、実際のところはどうだったかについて、ざっくり書いたのをまとめてみたり。 追記:流派の相伝や正統についても追記しました。
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まとめ

神無月久音 @k_hisane

とりあえず、今までの話をまとめるとこんな感じ。 ・兵法教授の方法は、その時々の社会情勢に影響される ・戦国期は兵法者自ら廻国し、行く先々で指南する放浪型が目立つ ・江戸期は住地に道場を構え、そこで弟子を取る定住型が目立つ。定住型は更に仕官型・浪人型、宗家型・師範型と分かれる

2014-10-08 00:59:33
神無月久音 @k_hisane

・師匠が弟子を推挙し、仕官させるのは戦国期後半から起こり、本格化するのは江戸期以降 ・流派の全国伝播は江戸で流行るかどうかが大きなポイントになる ・道場での教授という形式が確立するのは江戸期以降 今回はこんな感じですかね。 兵法指南関連の話は、またいずれ別の話もできそうで砂。

2014-10-08 01:03:46
神無月久音 @k_hisane

ひとまず、流派の相伝についてまとめると、死亡率の高い戦国期は特定の誰かを正統とするのではなく、見込みがあれば惜しまず相伝していたが、江戸期以降、戦がなくなって死亡率が下がり、格式や利害関係が発生したことで、正統意識というものが発生するようになった、というとこで。

2014-10-11 02:21:08
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