私家版ハイデガースタディー06 非現前的時間によるメタボレーの先駆
- sunamajiri
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最高の存在 Wesen があるという。それが神を意味する場合、「ある」というのは有限なものを指示する言葉である。あれこれの山があり、あれこれの植物がある。神は絶対に無限なものだから、それ以外に「ある」とかそれと並んで「ある」というようなものではない。
2015-06-16 18:12:17ところで、私はまだ井上克人批評をしてないのだが、井上はヘーゲリアンなのか、ハイデガーを単なる有論、有神論として、ヘブライの固有性に直結させようとしている。それでカント書を度外視するのだろう。ハイデガーはヘブライに対する固有性だと井上は言えていない。@LitoSnowfield
2015-06-16 18:20:41ハイデガーでは確かに無神論のような形而上学や神学は払拭されているが、だからといって有神論ではない。それをいうなら有時論なのであって、その点でヘブライズムに対してこそ固有性を発揮していると読まなければ、井上のように単なるヘーゲル的な言い方になるのだろう。@LitoSnowfield
2015-06-16 18:23:19このヘーゲルとハイデガーの極端な差異ということだけが、おそらく問題なのであって、ハイデガーは弁証法的に超越論的時間規定にたどり着いてはいない。つまり悟性ではなく、アリストテレス的な構想力というのは、カント弁証論に対する弁証法の問題ではないのだろう。@LitoSnowfield
2015-06-16 18:28:14それほど、ハイデガーの有論はヘーゲルの有論と混同されるのだが、そうした混乱が日本では渦巻くね。それでみんな弁証法とか止揚とかはじめてしまうという。(^-^)/ @LitoSnowfield あら〜大事なところなのに〜(・o・)> <無神論でも有神論ではなく有時論
2015-06-16 18:29:40@sunamajiri まぁ…(*^o^)> 素人の私がいうのもなんですが弁証論からではハイデガーさんは無理筋かと(笑) それこそ止揚がないという…(;uou)>←ツマンナイ ダジャレヲ イッタヒト
2015-06-16 18:32:59それ昨日指摘した大本教の精神性、日本語の地口。これは笑えないのであって、柄谷行人から見ると、ハイデガーのヘーゲル否定というのは、全部いかがわしい語源遊びと、柄谷にいわれてしまうのだ。しかし柄谷は昨日言ったように、大本教の名前探しと同じ。@LitoSnowfield
2015-06-16 18:37:07ハイデガーは、なんといってもヘーゲル大論理学によるカント解釈を誤謬推論に追いやるために、フッサールからアリストテレスのウーシアに言及してるのであって、こうしたアンチ弁証法のようなものを、日本人が読めていないということが最大の問題なのだろう。@LitoSnowfield
2015-06-16 18:38:40柄谷行人は、ハイデガーの世界内存在には他者という外部、神がないから独我論だ、つまり無神論だという神学に陥っているのだ。そこで柄谷が批判するのはハイデガーが語源学的であって、文法学を無視しているといった話なのだが~、@LitoSnowfield
2015-06-16 18:41:20~、柄谷にとっては、無限遡行を終わらせる名前はカントの時間=構想力ではなく、ヘーゲルの弁証法=悟性やコギトであって、コギトだけが名前探しができるからで、時間や語源に、真の名前=固有名は探求できない、という語り方をしているね。トランスクリティークね。@LitoSnowfield
2015-06-16 18:43:38柄谷はカント書を読めずに思弁に陥ってるよ。単純な話で、ハイデガーは弁証法では、カントの時間を超越論の規定にできず、神に止揚する論理学に頽落するといっているんだが、思惟や悟性では超越論的な規定、時間を固有名とできないだけの話だよ。柄谷は理解してないよ。@LitoSnowfield
2015-06-16 18:49:00ないねー。なぜかというと、柄谷は遡行が無限遡行だと有論的理解していない。底が無限遡行だから、止揚する神の論理学、つまり神学ではなく、弁証法以上に超越論亭には規定が必要で、それが時間という規定名だ、というハイデガーの論旨を、柄谷はまるで理解していないよ。@LitoSnowfield
2015-06-16 19:00:41ハイデガーというか、メタボレーあるいは転回以降、名前の問題、固有名論になるのは、時間が固有名か、はたまた時間に相対する固有名が別途あって、それはヘブライが固有名か、ヘブル性は普遍的であって、それは時間が超越論的な規定名=固有名か、という話だけだよ。@LitoSnowfield
2015-06-16 19:00:54できてないね、むしろ柄谷の単独者論は本覚思想に近いだろう。それは井上克人が、西田が超出しようとした明治までの現象即実在、覆蔵的超越性とどこか似ている。柄谷はそこに遡行したいだけだろうな。@LitoSnowfield あ〜無限遡行を捉えていないからなのですか〜
2015-06-16 19:12:49理解というのは、先学問的・先存在論的理解、つまり「我々にとって先なるもの」より、「それ自体で先なるもの」twitter.com/sunamajiri/sta… のこと、つまり漠然と有るという直感の純粋性で、それには時間という名前があるということだけよ。@LitoSnowfield
2015-06-16 19:14:17井上克人では、アリストテレスのト・ティ・エーン・エイナイを「我々にとって先なるもの」(無限遡行に対する通用性)から、ハイデガーだけが「それ自体で先なるもの」と解釈できた、という点というのが、主著のテンポラリテート、カント書の超越論的時間規定なのだろう。@LitoSnowfield
2015-06-16 17:14:25この先学問的理解が、時間という規定を要請する、という問題が、カント書なのであって、丸山文隆のカント書論 heideggerforum.main.jp/ej8data/maruya… でも、理解とはなにか、という話よ。その点から柄谷は全く理解しておらず、本覚しているだけね。@LitoSnowfield
2015-06-16 19:17:12そりゃそうよ、柄谷というのは、戦後の出版ジャーナリズムというだけよ。twitter.com/sunamajiri/sta… あのいい加減さというのは日本の出版物が、どれだけいい加減、恣意的なものかということなのだが。@LitoSnowfield
2015-06-16 19:23:57しかし、柄谷ってほんとに一般読者の代表なのよね。ネタにするのは文庫化されるような文献だけ。ハイデガーは悪評の旧岩波文庫版主著だけ。カントは文庫化された坂部さんの名著だけ。読書案内というか出版ジャーナリズムなのよね、あれ。そんなに日本の出版ってすごいのか?(^-^)/
2015-06-12 23:51:06柄谷が読者の岩波文庫も、かなり編集がいい加減、つまり恣意的。ブックオフがそういう人文図書を無価値化したり、自民党が日本の人文学部を粉砕したがる気持ちが痛いほど分かる。それほど日本の出版は恣意的。twitter.com/sunamajiri/sta… @LitoSnowfield
2015-06-16 19:26:24岩波文庫は戦前の昭和2年にドイツの文庫の真似してはじまったらしいが、あれのいう教養も、現政権が教養を嫌うように、かなりいい加減よ。@J_J_Kant ぼくは残りの人生で、どれだけ岩波文庫を読破できるかを老後の楽しみにしています(^^)
2015-06-15 14:50:03そうそう、ハイデガーの講義は、哲学史思想史という点で、最も読みやすい書物だよね。さすがにカント書や存在と時間は講義でないから、読みづらいのだが。カント講義は読みやすいよね。読めないのはバカよ。@LitoSnowfield これからは家庭に一冊カント講義(*uou)b …とか(笑)
2015-06-16 19:33:11ハイデガーの口頭、講義は、どんな哲学史より分かりやすいのに、日本では言文一致の問題があるからか、どうしても原稿として書き言葉で思弁しなきゃ、という柄谷みたいなことになって、ハイデガーと正反対な、弁証法に呑み込まれてしまうという。ww(^-^)/ @LitoSnowfield
2015-06-16 19:35:28でもハイデガーは口頭的な講義録ばかりか、カント書と存在と時間という主著も、語りよね。日本では言文一致の問題が有り、語りの超越論化、つまり神の視点で語り始めるけど、ハイデガーの語りは人間臭いよね。だから弁証法などしない。神ではなく時間があるよね。@LitoSnowfield
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