「司馬遼太郎はどういう風に、シロウトをだましてきたのか?」(※褒め言葉)
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歴史の読み解き方 江戸期日本の危機管理に学ぶ (朝日新書) 新書 – 2013/11/13
磯田道史 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4022735341/
司馬文学を解剖する
●今や絶滅寸前の日本の史伝文学
●司馬作品「関ヶ原」をテキストに読み解く
●歴史小説家・司馬遼太郎の本領発揮
●史実と創作のはざまで
●徳富蘇峰「近世日本国民史」の影響
●平成の史伝文学の可能性
1:さて、まとめに追加しよう。タイトル勘違いは、おはずかしいが… 「歴史の読み解き方」(朝日新書) 2013 磯田道史 最終章が、司馬遼太郎の作品を、元ネタと特定できそうな元資料を持ってきて、それを引き比べて、「どこをどのように創作したか」調査するというものでした。(続く)
2016-06-12 01:34:012:磯田氏は司馬の「関ヶ原」、特に戦闘当日の場面は、この資料だと名指しする。 それは家康の侍医「板坂卜斎」が書いた「慶長記(慶長年中板坂卜斎覚書)」という史料だと。なかなか観察力にとみ、しかも家康のすぐそばにいた人だから記録者にはうってつけだ。 この記録と、司馬小説の違いは…
2016-06-12 01:38:443:基本的に司馬氏は「台詞の創作/場面の視覚化」を多用するのだという。 家康は戦場に側女を伴い、彼女らに「具足持て参り候得」といった、と板坂資料にある。 それを「具足をもて」と簡潔化し、『具足櫃』を女性2人が運んでくる…と視覚化した場面を創作する。「3次元化」と磯田は評す。
2016-06-12 01:45:484:さらに司馬は「女に具足をさわらせるのはこの当時の迷信ぶかい武士たちの禁物であった」という蘊蓄を挟む。磯田氏がいうには「研究者の目で見れば、確かにそんなタブーはあったが、破ったとてそれほど注目すべき点でもない。だが、それをわざわざ大げさに指摘している。だから面白い」と(笑)。
2016-06-12 01:49:355:そして慶長記には、そんな家康の姿を見て、御小姓も急いで戦支度に自陣に戻る、との記述があるが、「あの者たちは、勢いよう駆け出したわ(小姓が傍を離れるのをほほえましく見ている)」「若やいだ声を出した」など、既に老将の家康が、戦争となると妙に若やぐという流れを「創作」している、と。
2016-06-12 01:54:476:このほか、前述の家康の具足は、異様なほど軽装だったが、その理由をどう解釈するか、福島正則に信頼を置いていたのか、裏切るのではないかと警戒していたか…などの解釈に、司馬の創作性を読んでいます。 このへんは、実際に同書を。 また、そも関ヶ原を「慶長記」記録をメインに据え(続く)
2016-06-12 01:57:147:そこから名場面を抜き出して再構成する、というのは徳富蘇峰「近世日本国民史」がやったもので、それを踏襲しているのだ、と磯田氏はいいます。 『司馬は偉大だが、その偉大さのいくぶんかは、徳富蘇峰が「基礎工事」をしたといえる』 とも。
2016-06-12 01:59:34司馬史観と、「徳富蘇峰史観史論)」の関係は repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstre… (pdf)という、司馬作品「覇王の家」を研究した論文でも語られています。 togetter.com/li/653638 でもとりあげました。
2016-06-12 02:03:01かくいう小生も、しょっちゅう司馬作品を引き合いに出す。
・「司馬作品初弾着弾論」ともいう。
それと史実との距離を測ると、それなりに有益だろうと。
・詳しい人に「司馬はXXXと描写してるけど、史実とは違いますか?」と聞く、的な。
(「司馬がそう言ってるのだから貴方は間違いだ!」とは似てるようでまったくちがうぞ)
・たとえば「真田丸」の描写も、司馬作品の描写と比べると面白い。どっちが史実に近いか?じゃなくて、どんなふうに両者の作劇術は違うのか?的に
そんな過去の例を。
togetter用資料 自分の「家康は『ちょっとだけ』インテリ」イメージは例によって司馬遼太郎のものだった。 「雅、数寄に興味がない」や「部下に知略より実直さを求める」もイメージの原因だったけど、よく考えたらそれ矛盾しないよな(続く pic.twitter.com/jq91tNRob3
2016-05-14 09:12:53(続き) 司馬遼太郎は詳しくない人(俺)にとってはとっかかり、 詳しい人にとっては史実と彼の描写の距離から読み取れることが多いよなあ。 ある人物が、実像とは別に「どう語られたか」というイメージ史もまたおもしろい。 ※引用画像は「覇王の家」より
2016-05-14 09:15:16togetter用 といった話は、こちらに収録。 「勉強家・文化人」としての徳川家康~細川幽斎との交遊などを中心に - Togetterまとめ togetter.com/li/974880 @togetter_jpさんから
2016-06-12 02:15:27「銃以前の遠方兵器の歴史」togetterに司馬遼太郎の徳川家康伝「覇王の家」の一節を加えるでごんす。 togetter.com/li/953699 この投石部隊は「信玄の独創だ」と書いてあるぞ!…って「小説だろ」で終わりだわな… pic.twitter.com/XxfB5URsb3
2016-03-26 21:53:01和装に、価格やお作法で演出されたプレミアム感や生まれ育った土地のものでなじみ深く離れ難いからという理由以外の「余りある魅力」があったら、とっくに世界中でスーツを駆逐してるはずだ
2016-05-17 07:15:11前RT 司馬遼太郎がいう「文明と文化、そしてジーンズ」の話だな hisami.com/blog/79 @MyoyoShinnyo @schwarzmonolith
2016-05-17 13:58:56たとえば「真田丸」第18回の描写と比較したり。
この人!いい人だね~良かったねお父上☺️ ちゃんと分かってくれる人はいるよ!#真田丸 pic.twitter.com/fjTy1QVq2f
2016-05-08 21:28:15#真田丸 ここでまた司馬遼太郎を持ち出すのもなんだが、司馬の秀吉―昌幸の描き方は、大谷の役を秀吉にやらせたような感じで「やあやあ、武勇のそなたにあやかりたいぞよ」的にべた褒めし一気に心を蕩かした、と描写している(関ヶ原)。 「秀吉はこういう田舎大名の心を掴む天才だった」と(笑)
2016-05-08 20:44:54