江戸時代の馬の図鑑 『馬相図』

齋藤定易(1657-1744)撰『馬相図』(1697年序)の画像をまとめています。実在するかどうか分からない馬の図象もありますが、歴史資料としてご覧下さい。
自然 騎兵 歴史 日本史 江戸時代 馬術
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解説
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図000a】これから紹介するのは、齋藤定易撰『馬相図』(別題「馬相絵」、1697年序)上・下巻。簡単にまとめると、馬を毛色や身体的特徴で分類した図鑑。著者の齋藤定易(1657-1748)は馬術家で、大坪流の八代目に学び、大坪本流を自称した人。全国に門人が多数いた。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
[訂正] 齋藤定易の生没年を間違えて写していますね。正しい没年は1744年でした。失礼しました。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図000b】大坪流の馬術は軍学の一環としてあったが、当時の獣医学的知見も押さえており、総合的な馬術であった。『馬相図』はさほど流布した物ではなさそうで、国書総目録で確認しても、著者不明・1697年序の『馬相絵』が1つ東博にあるだけ。これは恐らく齋藤撰の『馬相図』であろう。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図000c】これから紹介する『馬相図』は03年に偶々古本屋で見つけて購入したもの。手描きの巻物で、絵師は不明。序文はあるが落款の類が無く、下書きあるいは、模写されたものかもしれない。各図に馬の名称が添えられているが、とんでもない漢字が多数使われているので適宜説明を加える。
『馬相図』上巻
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図001】上巻の形状。題箋には「下」と書いているが、内容から明らかに上・下の巻名の付け方を逆にして、間違えている。。。  http://t.co/vGm45kGO4f
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図002】 上巻冒頭の挿入図。説明文は無し。(巻物を分割撮影し、該当部分を合成した画像です。)   http://t.co/o8dLerEDnd
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図003】 「驄 アシケ」(あしげ)  http://t.co/KViNj7qqUe
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図004】 「黄驄 ヲバナアシケ」(おばなあしげ)と「烏驄 クロアシケ 或作鴇」(くろあしげ)  http://t.co/NqchMVZsS3
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図005】 「赤驄 ヤマトリアシケ」(やまどりあしげ)と「彈 レンゼンアシケ」(れんぜんあしげ)  http://t.co/LqaPwLfPST
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「彈」の字は「驒」の字の入力ミスでした。失礼しました ↑

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図006】 「■ シラアシケ 或作白驄」(漢字は馬偏に宰。しらあしげ) と 「駰 シツアヲ」(しづあお?) と 「駽 アヲケ」(あおげ)  http://t.co/V1Jz3UwmzX
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図007】 「騅 子ツミケ」(ねづみげ)  http://t.co/E4ht9AOtbP
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図008】 「騏 クロアヲゲ」(くろあおげ)  http://t.co/H4WdCi5alj
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図009】 「騩 サルケ」(さるげ 猿毛?)  http://t.co/VUdInPDkiQ
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図010】 「騥 マダラアヲケ」(まだらあおげ)  http://t.co/kQvtXeERZa
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図011】 「騟 クリケ」(くりげ) と 「■ カウシクリケ」(漢字は馬偏に宰。この字は既に出ているので「騂」の間違いかもしれない。こうしくりげ?)  http://t.co/bcD4z6DPl1
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図012】 「驊 ヲバナクリケ 古曰尉栗毛」(おばなくりげ) と 「駓 シラクリケ 古曰姫栗毛」(しらくりげ)  http://t.co/siI4EsLvdW
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図013】 「紫騟 ムラサキクリケ」(むらさきくりげ) と 「騝 ヒバリケ」(ひばりげ) と 「赤驊 ベニクリケ」(べにくりげ)  http://t.co/qAcKiLTKu6
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図014】 「驙 ツキゲヒバリ」(つきげひばり) と 「青騝 アヲヒバリ」(あおひばり) と 「黄騝 カゲヒハリ」(かげひばり)  http://t.co/rMV0Ve3yyD
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図015】 「騽 クロヒバリ」(くろひばり) と 「駱騝 カハラケヒバリ」(かわらけひばり) と 「駵 カゲ」(かげ)  http://t.co/bHiuEYq3Xz
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図016】 「赤驃 ベニカゲ」(べにかげ) と 「驃 シラカケ」(しらかげ)  http://t.co/RzG5wRNlCl
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図017】 「■ クロカゲ」(漢字は、馬偏に耊。くろかげ) こんな漢字があったとは。。。  http://t.co/wqw3obQceZ
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【馬相図018】 「斑駵 トラカゲ」(とらかげ)  http://t.co/hrjTQcp09j
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コメント

張三李四 @tyousanrisi 2013年7月22日
江戸時代の馬の需要ってどんなものなんだろうな?まあ時代劇イメージ参考なので史実は違うかも知れないけれど、民間を見ている限、手紙などは飛脚が使われていたみたいだし、参勤交代でも馬の割合は低いように見える。武士も馬は維持していなかっただろうし……。例えば江戸城にはどれくらいの馬がいたんだろうか?
なだ @nada_2nd_dryke 2013年7月22日
野馬追いの時期を狙って披露とは。先生やるな(^^)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2013年7月22日
.tyousanrisi ありがとうございます。最新の研究は追っていないですが、例えば、下総にあった小金・佐倉の幕府直轄「牧」(放牧場)では1750年代に合計5000頭程の御用馬が飼育されていたと記録があるとのことです。それでも足りなくて、東北諸藩から良馬を買い付けていたようです。ご参考までに (^_^)
張三李四 @tyousanrisi 2013年7月23日
なるほど、ちょうど旗本の分だけの数は維持してあったんですね。しかし、図鑑なのに馬の姿勢がそれぞれ異なりますね。図鑑として違いを際だたせるなら同じ体勢の方がいいと思うのですが、当時は図鑑と絵画との区別があまりなかったんですかねえ。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2013年7月23日
.tyousanrisi 「図鑑」という言葉はとりあえず、今の視点で付けたものでした。動物に同じ方向を向かせて、同じ特徴を描いて羅列する、という発想は、実は非常に近代的・現代的なんですよね。この絵巻は「人相」と同じように「馬相」を考えて、その特徴だけを描いていれば良いというコンセプトのようですね。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2013年7月23日
nada_2nd_dryke 実はほとんど意識していませんでしたが、そういえば、野馬追いの時期ですね (^_^)
澤正宗 @Osiziga_ni 2013年7月23日
ke_1sato 今も地名に残るhttp://www.geocities.jp/jinysd02/he.html「戸」の由来ですね。冷涼な気候のため、穀物の栽培よりも牧畜の方を優先したのでしたね(南部曲り家やオシラサマも馬産と関係してますし)
tantanQtan @tantanQtan 2013年7月24日
江戸時代のデッサンの歴史などまったくわからないのですが、骨格と筋肉のつき方がおかしいので絵を書く専門の方が毛色の特長を表すために書いた模写のものではないでしょうか。
飯島明子 @a_iijimaa1 2013年7月25日
色々なポーズのお馬さんたちが魅力的ですね。国立西洋美術館で今展示中の、ピカソによる動物画を連想しました。 骨格と筋肉は確かにおかしい感じではありますが、当時は「そこに着目して描く」という意識が画家にも観る側にもなかったかもしれません。(浮世絵の美人図も、あんな骨格の女性はいないわけですし)
KokyuHatuden @breathingpower 2013年7月25日
神事用に馬を飼っている神社もありましたね。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2013年12月30日
まとめを更新しました。来年の干支はちょうど馬ですので、何とか年内にまとめを完結させました。ここに上げた画像もお好きなものがあれば、どうぞご自由にお使いください。 
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