考察の花

一時的考察のメモ
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tourijp @tourijp

「Khronos=時間、Kairos=時・チャンス。私たちは毎日の時間Khoronos(クロノス)を、恵みの時Kairos(カイロス)にしていける。害も生きがいにすることも。」Twitterのカイロス利用。人が発信した言葉を、他者からの恵みとして受け取ることができるからです。

2009-12-20 15:35:11
tourijp @tourijp

韓国の申一成さんの仕事場にお邪魔し、キムチの瓶を作るところを拝見させてもらった。韓国でも、キリシタンの迫害の時期があった。迫害の手を逃れて、キリシタンは山の奥へ奥へと逃れていった。生活の糧を得るために「キムチ瓶」を代々作ってきた。申一成さんは、その隠れキリシタンの末裔だった。

2009-12-20 11:36:34
tourijp @tourijp

キムチの瓶は紐作り、約20分で私がすっぽりと入れる位の大きい瓶ができる。炭で乾燥させながらの早技!韓国で伝授してもらった紐の作り方は、昨日も生徒に披露した。コンクリートの床に粘土の固まりを打ち下ろし、ひも状に伸ばしていく、韓国独特のこのやり方は、土がしまり可塑性が増す。

2009-12-20 11:41:00
tourijp @tourijp

「キリスト教に対する考え方や関わり方は、その後も変遷を繰返すが、以来肉体労働的な労働がいくら(略)。そして金が儲からないことも自分の仕事を人が認めないことも、さほど苦にするには当らないと悟った私は、もう一度虚心に、やきものに取り組んでみたいと思った。」加藤唐九郎「土と炎の迷路」

2009-12-20 11:30:04
tourijp @tourijp

「やきもの作りは、やきものを作ることによってのみ救われるという、ひとつの信念を得ることができた」 -加藤唐九郎「土と炎の迷路」-

2009-12-20 11:31:46
tourijp @tourijp

父が小学校低学年だった私に顕微鏡をプレゼントしてくれた日。プレパラートを覗いて、ミクロの世界に驚嘆した。最近は専ら花や自分の顔の一部(皺とかホクロとか・・・、マクロ撮影しては、被造物の仕組みやデザイン、美しさに感嘆している。いつまでも驚嘆と感嘆する心を持ち続けたい。

2009-12-18 22:31:04
tourijp @tourijp

古代シュメール神話で語られている現象が、旧約聖書の「創世記」「出エジプト記」に酷似している内容であることは、私にとってさほど驚くことではなかった。なぜなら、指導司祭が、「旧約聖書は神話をもとに人間にわかるように表現されている童話の部分がある」と公言していた事だったからです。

2009-12-18 07:10:39
tourijp @tourijp

クリスマス然り。12月25日がキリストの誕生日であったわけではない。ローマを支配していた太陽神の祭りが、キリストの誕生日として祝われるようになってしまった経緯も公言されてきた。旧約聖書にしろ、クリスマスにしろ、そこで何が語られるかが重要であり、語られている何かに耳を傾けます。

2009-12-18 07:17:42
tourijp @tourijp

知識(yadah)は、思索的に知ることを指しているのではありません。2つの命がひとつになるほどに他者を知る、という意味です。この言葉がもっている一番深い意味において、yadahは夫婦の完全な一致を称賛するために使われた言葉です。「そうしてアダムは彼の妻エワを知った」。

2009-12-18 06:57:50
tourijp @tourijp

大自然の雄大な眺めを前に、人間は小さなもの狭いものを忘れてしまう。神の美しさに魅せられた人は、もはや自分を眺めない。神は貧しく、何も持たず、何も所有していない。神は譲与そのものである。神の貧しさは、貧しい者たちのうちで語るのをやめてはいない。- モーリス・ズンデル神父について -

2009-12-18 06:42:03
tourijp @tourijp

都内のクリスマスツリーの下に、一人初老の品の良い紳士が身の回り道具を積み上げて、腰掛け、呆然と考え込んでいた。立ち止まったが声もかけられなかった。先日、ホームレスになりかけた一人の方とお目にかかった直後だった。苦しみと途方に暮れた日々で思考が過去のしあわせに逃避してしまっていた。

2009-12-17 22:21:45
tourijp @tourijp

優しさとは愛の特質。与えることを好む親切以上のもの赦すことを好む憐れみや他人の貧しさを満たそうとする憐憫とは別のもの。他の人によって自分が浸透されるに任せ他の人の長所や欠点、不足などを喜んで受け入れ、その喜びで心が大きく広げられるなら、その人は優しいと言える-ズンデル神父について

2009-12-17 05:18:09
tourijp @tourijp

「性」は素晴らしい賜物でもある。「愛するため、こどもを残すため」もっと大切にしなさい。利用するのはいけないけどね。女性の体は、本当に美しく創られていると思うよ。・・・フランシスコの小さな兄弟会 ザベリオ神父の言葉。

2009-12-15 14:04:38
tourijp @tourijp

「地獄」とは?神が「そこへ行け」と言っている処ではなく、人間が「自由」にそこへ行けるという処である。「人間」の特徴は「自由・良心・理性」がある存在。

2009-12-15 13:36:40
tourijp @tourijp

「母親のまなざしの中に人類愛の刺激を受けることのできなかった者は、世界を駆け巡っても人間の涙の中に愛の動機を決して見つけないだろう。」-ペスタロッチ- すべての人に母がいる。母親教育、女性教育の大切さ。20年前のメモから。

2009-12-15 12:32:46
tourijp @tourijp

「楽しみ」自分の心の欲望からくる。自分にプラスという価値。「喜び」他者に捧げる、自分の命を捨てる喜び、愛につながる。自分の一番大切なものをさておいて、他者に捧げる喜び。自分の欲望を満たすことを切り捨てない限り、喜びは出てこない。。喜んで生きているかどうか。

2009-12-15 12:38:12
tourijp @tourijp

東博で一番に足を向けたのは、土偶の待つ室ではなく、ある方と再会するため。数年前、ブログで「展示の仕方」に文句を書いたのですが、茶碗の「見込み」が見えない高さだったのです。高すぎて。今日は、かなり低い位置に展示されており、目跡も確認できました。「有楽」様を再訪してきました。

2010-01-05 23:00:00
tourijp @tourijp

「土偶展」から無事帰還。縄文土器を見る時には「使われたモノ」という視点があるので、デザインや制作エネルギーに圧倒されたが序の口だった。縄文人入り口として。土偶は「これ何?何に使うの?芸術?呪詛?何?何?」と「?」の連続なので一々説明を読みながら鑑賞するはめになった。土偶展1

2010-01-05 21:49:03
tourijp @tourijp

純粋に、ありのままを「受け入れられない」物体が土偶だった。謎と不思議と驚嘆の連続。副葬品が多いこともあるのか、あれは「鑑賞するため」のモノではない。大変なエネルギーと強い祈り、何らかの愛の篭りを感じる。疲れた、いやエネルギーを吸い取られてしまうような感覚になった。土偶展2

2010-01-05 21:59:06
tourijp @tourijp

仮面の文化?デスマスク?縄文の表現の緻密さ、新羅土器にも繋がっていった部分があると感じる。縄文人が日本に来て、日本に残した土偶。どこから来たのだろう。アフリカのイブが何度も会場で脳裏に浮かぶ。火焔土器に似た土器大作は、実は立体でありながら平面図にすると男女のダンスの様子。土偶展3

2010-01-05 22:06:39
tourijp @tourijp

一億三千年前の土の欠片。小さな欠片だったが、想像もできないほどの永い時を経て、眼前に存在する事実。弥生時代に比べるまでもなく某大な流れの中で縄文文化は日本全体を覆っている。縄文人のデザイン、紋様の一つ一つににはこめられてる意味、祈りがあるのは確かだ、と感じる。土偶展4

2010-01-05 22:19:18
tourijp @tourijp

かすかに空を見上げるような土偶たち。地を見下ろしている土偶はなかった。時に黒い漆の跡を残し、時に弁柄の朱色を残し、炭化された黒い紋様が炎がつけた紋様にも見え、制作した後にピカピカに研磨され焼成されている土偶や土の作品を見て、大地に生きた一億年もの人間の足跡だと思う。土偶展5

2010-01-05 22:30:20
tourijp @tourijp

女体のトルソーから始まり、頭や手足をつけていった土偶。土の塊を四パート接合した方法から中空となっていく。壊されやすい部分を意識したのか、学者の間にも様々な論議があり、定説はないという。輪を積む成形方法が明らかに「壊れやすい部分」を残しているのは接合部分の強弱の不思議。土偶展6

2010-01-05 22:37:38
tourijp @tourijp

「魔境」(禅)は、観想の領域、「ここで仏に出会ったら仏を追い払え」と言われる。「観想」は、理性や思考、意志⇒感情⇒深い感情(欲求・希望・喜び)⇒観想(神と接する領域)と深まる。「思考」は感覚への移行の過程には雑念があるが、ゆっくりと感覚の方へ向かう。ゆっくりと。

2010-01-04 21:27:20
tourijp @tourijp

禅でいう「魔境」。観想の領域で「考える」とイメージの世界へ逃げてしまうが、観想を生きよと言われています RT @Tatsuo_Umemoto: 「観想Contemplation」とは対象に心を集中して深く観察することで対象の本質を直観する行為です。「観想」が深まると対象そのものが

2010-01-04 21:17:13
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