景観論について考え中(ドラフト)
建築は環境の中では、本来「背景」に属するものであって、かつては無個性というより街並み全体で共通のデザインコードを守っていたのです。景観を昔に戻すのは難しいでしょうが、自己表現の呪縛から抜けていけば数十年をかけてなんらかの調和を生み出すのではないかと思います。そのためにも現在残っているものを守るのが重要で、それらの建築や景観は次の時代へのシード(種)やゲノムになる可能性があるからです
- mori_arch_econo
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M1529A
@M1120A
@mori_arch_econo ところが日本は襖や障子の文化ですから、個人間で容易に閉め切って小さい自分の空間を作ろうとします。その認識の差が理解されずに誤解が生まれたんですね。日本人は「区切り」に敏感で、またその外については驚くほどに無頓着なんだと思います。
2014-11-07 18:35:33
建築エコノミスト森山高至「土建国防論」執筆中
@mori_arch_econo
@M1120A そうですね。障子も襖も実際には閉じることができていないですものね。音は抜けるわ気配は伝わるわですから。よく政治家がホテルで変死とか聞きますが、そういう身に危険がおよびそうな人は旅館に泊まった方がいいのにと思ってました。寺田屋も旅館だったから龍馬も助かったんでしょう
2014-11-07 18:45:38
M1529A
@M1120A
@mori_arch_econo マンガの窓についての話はTLで流れてきた分を読ませて頂きましたが興味深かったです。大友作品がカオス的な「汚い未来」を描く一方で「汚なカッコイイ」と感じる理由が分かった気がします。それは「面と向かっているようで徹し切れていない」違和感でもあります。
2014-11-07 18:51:24