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by Rudric CC BY-SA 3.0
クローヴィス
クローヴィスは全フランクを統一し家臣団共々カトリックに改宗した。
ゲルマン諸部族には、アリウス派等のキリスト教がすでに浸透していたため、キリスト教自体に全くなじみが無いわけでは無かった。
ローマ・カトリックへの改宗により、ローマ貴族達との緊張関係も一定程度和らいだと考えられている。
コロナートゥス制の変質
慢性的不足の奴隷に代わり、没落農民を小作人として雇用し地代を取る制度をコロナートゥス制と言う。
奴隷と違い小作人にはローマ市民権があり自由や財産など様々な権利を有していたが、後に移動が禁止され土地と共に取引されるようになっていく。
メロヴィング朝初期には庇護を求める中小自営農が、土地を有力者に譲渡し、地代支払い義務と共に再譲渡されるケースが増えた。
ガロ・ローマ文化
by PHGCOM CC BY-SA 3.0
ローマ帝国ガリア地方で形成された文化で、ローマ・ナルボネンシスやアキテーヌなど南フランス地方で広く共有されていた。
ローマ帝国滅亡後は西ゴート王国に継承されたが、フランク王国の支配及びアルビジョワ十字軍を通して解体され、オック語などの地方語としてその名残を残すのみである。
中世パン図鑑 黎明の中世 ②ゲルマン式の浸透 一方北仏ではゲルマン式の牧畜中心、移動式焼畑農法が浸透し小規模な散村が点在し耕作地より森や荒地が多かった。まだ鉄器農具も浸透せず、馬を飼うのに必要な燕麦も栽培されず食生活も貧しかった。 pic.twitter.com/AlsZBduPpC
2014-12-11 00:43:03by Midnightblueowl CC BY-SA 3.0
フランス北部では、30程度の小屋が散在する小規模な集落が森の中に点在していた。
この時期の典型的なゲルマン式農法の集落ブルビエール(Brebière)の発掘記録によると、動物の骨の内家畜が97%を占め豚と牛を中心にした牧畜が浸透していたことがうかがえる。
中世パン図鑑 黎明の中世 ③カール大帝とカトリック教化 8世紀、カール大帝により王国は安定し、カトリックと緊密に結びつき各地に修道院を建て国全体を教化した。修道院ではパンとワインが必須でありそのためそれらを作る農業も王国中に広まった。 pic.twitter.com/krqA2UTqWw
2015-06-18 23:24:18by by Beckstet CC BY-SA 3.0
メロヴィング朝からカロリング朝へ
by Wolpertinger CC BY-SA 3.0
カール・マルテルはトゥール・ポワティエ間の戦いでムスリムの進出に歯止めをかけた。
その子、ピピン3世は父の名をとってカロリング朝を開いた。そしてローマが含まれるラヴェンナの地を奪還し教皇に寄進した(教皇領の原型となる)。
その子のカール大帝は、外征で王国を広げるのみならず、カトリックによる統治を進めた。各地に修道院や教会を建て学問の研究や住民の改宗を奨励した。
これらの政策を通して、カロリング・ルネサンスという文芸復興運動が起きた。
カール大帝の戴冠式
800年のクリスマス、ローマ教皇レオ3世によってローマ皇帝として戴冠。
カトリック教会及びフランク王国は、ムスリムとも東ローマ帝国とも異なるヨーロッパの第三の勢力としてその立場を確立して行くことになる。
キリスト教におけるパンとワイン
by Nheyob CC BY-SA 3.0
カトリックのみならずキリスト教において、パンとワインはイエスの肉体と血を象徴し信徒が分け合い口にする事がとても重要な儀式となる。
従って、修道院や教会においてもパンとワインを用意する必要があり、原料を作り出すブドウ栽培、麦作りの技術も携えていた。
王国中に修道院や教会を作り奨励することは宗教のみならず、食料及び経済の基盤となるブドウ栽培と麦作りを広く広める事にもなった。
ベネディクト会
ベネディクト会は教皇推進の修道会運動を主導していた。
彼らの戒律は「祈り、働け」という清貧を旨とする戒律で、後の多くの修道会のモデルとなった。
信仰の伝道や神学のみならず、歴史記録、絵画、声楽、自然研究、建築、土木等の文芸や技術をヨーロッパ中に広め、荒れた農地の再生や文化の形成に大きな役割を果たした。
やがて領地や財産を所有する事で世俗化していき、後にクリュニー会やシトー会の修道会改革運動を呼び起こす事になる。
中世パン図鑑 黎明の中世 ④騎士の始まり レーエン制 ゲルマン従士制度とローマ恩貸地制からレーエン制という封建制度が出来る。従者は王に対し臣従と軍事的奉仕をする代わりに領地や官職を預かる。上下関係のソーシャルネットで領地は分配された。 pic.twitter.com/4POGO9e9Nr
2014-12-13 01:45:12この絵はエドモンド・レイトン(19世紀)によるAccoladeというタイトルの絵。
Accoladeとは栄誉を与えると直訳でき、騎士叙任における剣の峰で肩を叩く刀礼を指す。
刀礼は騎士叙任における典型的な儀式の一つで、今日でも英国王室のナイトの称号授与の式でも女王自ら行っている。
(KnightedもしくはKnightingで検索されたし)
この習慣はフランスで生まれヨーロッパ各地に広まったと考えられている。
エドモンド・レイトンは中世もテーマとして様々な美しい絵画を残している。