#実態的コーヒー文化史 関連まとめ
今回の「東アジア漢語文化圏」「15-20世紀」の範囲とはやや離れますが、これはコーヒー史概論として力作だ…… / 9-13世紀のコーヒーの可能性 - 百珈苑BLOG d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/t…
2015-08-18 17:15:17@tricken じつは「イエメンでコーヒーが生まれたのは15世紀」というのも、直接当時の記録が残っているわけではなく、16cカイロで書かれた「コーヒーの合法性の擁護」によります。ここでは15cイエメンの用法自体への言及はないですが、16cカイロでは別の飲み方だった記録があります
2015-08-18 17:16:21@tricken 16cのカイロ、マッカ、イエメンなどの飲み方は、(1)干した果実の果肉部分(殻状になる)だけを煮出す「キシル」、(2)干した殻と中の種子ごとを炙って煮出す「ブン」の2種類です。今のように種子だけを煎る方法はありません。(1)は現在もイエメンには残ってます。
2015-08-18 17:21:24@tricken コーヒー飲用はイエメンからマッカ、カイロ、レヴァント、イスタンブル、と広まりましたが、トルコにも「スルタンコーヒー」という、キシルを用いるものがあるので、トルコまでは両方伝わったはず。ただし、17cに入るとレヴァントやトルコではキシルは姿を消してます。
2015-08-18 17:24:08@y_tambe おお……ということは、16世紀の末から17世紀前半にかけて欧州に伝わった「コーヒー」の抽出法は、15-6世紀の紅海沿岸部のイスラーム文化では必ずしも収斂していなかった、ということになりますか?(英国の清教徒革命の時までには、今のに似た製法がきてるようですが
2015-08-18 17:26:39@tricken 現在の「トルココーヒー」の飲み方が生まれたのは、おそらく16c後半-17cのトルコのコーヒーハウス(カフェハネ)と思われ、そこでブンだけを、かなり深煎りする方向になったと推測されます。現在はサウジアラビアとかでもブンだけで煎りますが、トルコよりずっと浅煎り。
2015-08-18 17:27:19@tricken 当初はイギリスのコーヒーハウスやフランスのカフェなどでも、煮出し式でしたが、大量に作り置きすると味が落ちるということが判明し、最初はティーバッグみたいな感じの抽出法(浸漬式)が考案されます。1710年頃のフランス。1760年頃にはそれが普及。
2015-08-18 17:34:07@tricken いくつか浸漬式のための器具が考案されるうち、1800年頃にパリ大聖堂の大司教だったドゥ=ベロワが、新しいタイプの器具を考案。これがドリップの元祖といわれる「ドゥ=ベロワのポット」。1820-30年代、ヨーロッパ全土のコーヒーブーム時にフランスで普及します。
2015-08-18 17:36:38@y_tambe なるほど、つまり 0.-15c中世イスラーム(生豆? 謎) 1a.15-16c紅海近傍(キシル系) 1b.15-16c紅海近傍(ブン系) 2.イスタンブルの「スルタンコーヒー」(ブンのアレンジ?)とコーヒーハウス文化誕生 3.16-17c欧州で新展開
2015-08-18 17:36:42@y_tambe ……の0-1-2-3の「コーヒー焙煎文化」の「西漸現象」それぞれの間に微妙なミッシングリンクがあるんですね。今回のあの一連のまとめは、オスマントルコから明清への「コーヒー焙煎文化」の「東漸現象」が主題だったのですが、まさか西漸も謎だらけだったとは。
2015-08-18 17:39:38@tricken あ、イスタンブルのカフェハネで飲まれていたのも、初期(1555-)から「ブン系」が中心のはずです。「スルタンコーヒー」は珍しいものだったらしい。で、おそらく17c頃にイスタンブルで今のトルココーヒー(種子だけを深煎りして煮出す)に変化していったと思われるのですが
2015-08-18 17:40:13おや、ということは、レミゼラブルの七月革命や六月暴動のころに、自分たちの知っているドリップ式抽出が生まれていて、レミゼの大学生たちはもしかしてその時代のフランスの発明品であるところの(煮出し式でない)ドリップコーヒーを飲んでいたかもしれないということか?
2015-08-18 17:45:26@tricken ドゥ=ベロワのポットについて情報を戴いたので。twitter.com/y_tambe/status… ということは、宇田川一門が「東漸してきたコーヒー」を見たその同時期に、紅海→イスタンブル→欧州と流れていた「西漸」の最新飲用法としての「ドリップコーヒー」が出来てたと。
2015-08-18 17:47:32@tricken まぁ何で1820-30年代にブームだったか、というと、ナポレオンの大陸封鎖でコーヒー(&砂糖)が入ってこない時代が終わった後、だったりするわけですが。この1820-40年代あたりが、ヨーロッパでの抽出器具の発明ラッシュで、サイフォンとかプレス式の原型もこの頃。
2015-08-18 17:48:48@tricken ああ、当時の日本はオランダ経由でコーヒーを知ったわけですが、フランスでドリップが流行った時代も、イギリスとオランダは浸漬式が主流でした。日本にドリップが本格的に入ってくるのは1930年前後、アメリカからです。
2015-08-18 17:50:30@tricken 幕府の蛮書和解御用(に連なる幕末洋学機関)で研究されていた中にあったコーヒー文献には、確かに欧州語で書かれた百科辞書も含まれていただろうけど、そこに“ドリップ式の”コーヒー抽出が書かれていたかどうかは境界線である(18世紀の最後にフランスで漸く発明されたから)
2015-08-18 17:51:32@y_tambe おやっ⁉︎ ということは、関東大震災が起こる前くらいまでは、(カフェー・パウリスタなどの有名店も含めて)ドリップ式ではなかったのですか? (少なくとも1900-10sくらいにはドリップ式かサイフォン式が入っていると思い込んでましたが)
2015-08-18 17:53:48@ttt_cellule 逆に考えるんだ、「(少なくとも“東漸”については、ほぼ)終わってるんだ」と……
2015-08-18 17:54:36@tricken 少なくとも国内の初期の文献を見る限り、ドリップではありませんね。NDLで取り寄せ可能な範囲で調べた限り古い文献としては、チモトコーヒー創業者の芝原耕平が移民先のアルゼンチンから帰国後、1928年頃にNHKラジオの主婦向け番組で紹介した、講演記録などがあります。
2015-08-18 17:59:18@tricken じつは1910-20年頃、アメリカでは空前のコーヒーブームが起きてまして。…まぁ一次大戦で中南米のコーヒーがヨーロッパに輸出できなくなったもんで、良い豆が安くアメリカに流れたからですが。この頃に、1820-30年代のヨーロッパ器具のリバイバルがおきてます。
2015-08-18 18:01:39ええーっ、ということは、大正浪漫風に純喫茶カフェーを描写する時に「ドリップ式」をやったらNGな可能性があって、17-18世紀欧州で主に行われていた浸漬式 gaussatkarizumai.blog.fc2.com/blog-entry-44.… で淹れないといけないのかあああ #珈琲咖啡探索隊
2015-08-18 18:04:24@tricken また20世紀末には耐熱ガラスが発明され、それを使ったコーヒーサイフォンがアメリカで発売されたのもこの頃。ティー&コーヒージャーナルに「色々な淹れ方を試した中でドリップが最良だった」という記事が載ったのもこの頃。それが1920-30年代日本に導入されてる
2015-08-18 18:04:54