丹生谷貴志ツイートまとめ(2015年6月)

丹生谷貴志さんの2015年6月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

「はるさい」「フルベン」「シベ2」「クリオラ」「クナ」「ジミヘン」やらといった略語への我慢はともかくとして音楽ほど「癒し」というイヤらしい言葉が口にされるジャンルも少なくて、これは我慢をするのが難しい。まあ、「眠りと癒しのクラシック」の中にレクイエムが入っていたりするのはすごい!

2015-06-01 02:31:55
nibuya @cbfn

・・・たしか坂本龍一さんが『エナジー・フロー』を出した時、香山リカが如何にも憤懣置き場がないという感じで苛立っていたのを思い出す。その頃の彼女は学生が、「毎日が輝いていないんです」と質問すると「輝いてなくていいじゃない。なんで輝いていなくちゃならないの?」と答えた。いい答えだ。

2015-06-01 03:08:37
nibuya @cbfn

ジョニ・ミッチェルにしろボブ・デイランやヴォネガットにしろ或いはロラン・バルトにしろ、その絵が現代美術においてどうこうなんて業界話はともかく、本気で描いているしとても魅力的な絵を描く・・・彼らにとって絵を描くということは何なのか、その本気さ(!)は何なのか、何はなしに考え込む・・

2015-06-01 11:48:53
nibuya @cbfn

「音楽嫌い」を実証(!)するために意地で、もはや「ポピュラー」は済んだので片っ端から「クラシック」を聴き続け・・・はともかく、もはや「オーディオ事情」に疎くて「CDは終わり今やハイレゾだ」ということになりつつあるらしいのを知る。まあ経験上「オーディオ・マニア」というのは・・・・・

2015-06-05 22:59:51
nibuya @cbfn

で、小林秀雄にオーディオ・マニアについての文章があった気がする。と言っても五味康祐を絡めた文章で、僕の世代(?)のクラシック音楽知識は吉田秀和さん以前にこの五味康祐という「謎の人物」でもあった。無論知る人ぞ知る『柳生武芸帖』の作者、保田与重郎の弟子にして武芸もので芥川賞という変種

2015-06-05 23:09:22
nibuya @cbfn

指揮者というとまずジョージ・セルを思い出してしまうのは、70年万博に演奏に来て、その時すでに余命幾ばくもないのは公表されていて、「なぜ無理をおして敢えて?」という日本記者の質問に、音楽の方が私より重要だからと卒然と答えたそのあまりの卒然さに茫然とするほど驚いた記憶のせいだと思う。

2015-06-05 23:49:38
nibuya @cbfn

デヴィド・マンロウの死因は伏せられているが自殺というのが有力で、僕の知人の一人は「古楽がイージーリスニングや癒しのように聴かれてしまうことに絶望したんだ」と断定し、義憤に震えていた・・・といったような数十年前の記憶が相変わらず不意に浮かぶ。

2015-06-06 02:02:27
nibuya @cbfn

・・・或る年齢を過ぎるとどんな奇想を凝らしたものだろうとあらかたの物語がどうでもよいものになる。残るのはその物語を語る言葉や視線や光や匂いやらが世界のどのような陥没に張り付いて動いているかだけになる。ブランショが「〈全ては消え去った〉が現れる」という微妙な言い方をしている何か。

2015-06-06 08:59:44
nibuya @cbfn

・・・音楽嫌いと言いながら例えばマイルス・デヴィスの『デコイ』なんてのをかけると、カッコイイじゃんと関東弁を思わず呟き、しかし「デコイ=裏切り者=囮」という題名は何の決意なのか、何の「気分」なのか、と考え始めてしまう。

2015-06-06 09:18:29
nibuya @cbfn

大島渚とか黒沢清さんやら万田邦敏さん青山真治さん若手なら濱口さんやら、そんな映画を毎日恒常的に客がいようがいまいが上映している映画館を夢見る。名画座とも違う、パリ市が一応実現に近いものにしている上映法。散歩がてらにふと入って20分ほど見て帰り、気になって翌日見直しに出かけ・・・

2015-06-06 09:53:24
nibuya @cbfn

「今週見るべき映画」なんてコラムがあるが、それとは関係なく「毎日見るべき映画」、まあ「〜べき」という言い方は押し付けがましいが、そうではなくてふと日々、部分だけ聞き直す音楽やらのようにして反復して見られる映画への飢えはあるのだ。「全体」が見たいのではなく、或る現れを確認するために

2015-06-06 10:05:07
nibuya @cbfn

例えば「デカルトに全てが書かれているから他の書は読まない」という人がいるとして、要は人間は究極的には自分の中に「書かれている」もの以外は読むことが出来ないのだからその人はきっとデカルトに「拡張された自分の全景」を見出した幸者だろうと思う。まあ、それはナルシスの罠でもあるだろうが。

2015-06-07 14:42:09
nibuya @cbfn

渡邊一民『フランスの誘惑』を毎風呂時間にパラ読み。横光利一から森有正を頂点に遠藤周作『留学』とか、フランス、ひいては西欧文化の「深淵」への心身共の畏怖を帯びた震え・・・というものに僕は無縁だし、昔から森有正さんたちの構えに敬意は持ってもそのナイーヴさに根本的な違和感がある・・・

2015-06-08 11:25:47
nibuya @cbfn

世代の問題なのか僕個人の問題か、僕は西欧文化の「深淵」に震えないし青野聡世代のように日本にいると血が停滞すると感じて「世界への流離い」の渇望に懊悩したこともない。インドだろうとイランだろうと「違和の深淵」に墜ちた経験もない。砂漠の夜に茫然としたことはあるがそれは地学的問題だった。

2015-06-08 11:42:05
nibuya @cbfn

余談。「何もしてない」ことを訴える罪悪感に関して、「労働」が資本主義的賃労働ではなくヘーゲル的な(!)「労働」という意味でならそれにヘラクレイトスも混ぜて、すべてのものはそこにいる限りにおいて絶えず奔流のように「労働している」はずだと・・・これは嘲笑されようと堅持すべき自己説得!

2015-06-08 12:59:12
nibuya @cbfn

中島らもがド・クインシーの「麻薬記」に失望したと書いていた。実際そこには要するに高の知れた嘆き節の内省録しかないのだ。麻薬の正否に関係なく、麻薬体験自体に積極的な「変革性」があったのか(あるのか)は大いに疑い得る。慰安の「特異な性質」が戦いの記録でありえたかどうかの「音楽的問題」

2015-06-12 09:20:48
nibuya @cbfn

らもはミショーの本についても失望を書いているが、まあミショーは最初からそのメスカリン実験を『みじめな奇跡』と明言した上でそれが戦いの記録であり得るかどうかを試みているので・・・もっとも、らもさんはミショーの訳本が大仰で高価なことにいちゃもんをつけているのだが。

2015-06-12 10:02:59
nibuya @cbfn

「戦いの後、死せる者たちと消耗の中で眠る者たちの上に巨大な蝶が舞い降りて停まった」と、マルローはどこかで見つけたインドの諺を記している。彼にとって「音楽」はそのようなものだった? あらゆる死と黙示の後、不意に鳴り響くチマローザ、とか? 全てが終わってしまい”手遅れと”なった時に?

2015-06-12 10:18:23
nibuya @cbfn

余談。学生の頃黛敏郎、芥川也寸志といった人がたまに音楽学部に顔を出した。音楽学部は校門のあたりから彼らを迎え・囲み・移動する学生の、嬌声じみた興奮が見られた。美術学部の我々は何事かとそれを遠目で見て、誰かが「武満さんは来ないの?」と愚問を口にする。大学が違うんだよ、と誰かが答える

2015-06-14 15:31:56
nibuya @cbfn

例えば黛さんの『涅槃交響曲』は、友人が合唱に加わっていて誘われて文化会館かどこかで実演を聴いたことがある。オーケストラのユニットが客席を囲んで、鳴ると客席全体が梵鐘の中の余韻の渦に入る・・・下手をするとあざといその仕掛けが実に巧く作曲されているのにはちょっと感心したのだった。

2015-06-14 15:38:59
nibuya @cbfn

・・矢代秋雄さんの追悼を黛さん企画の番組がやり、その時伝説的といってもよいピアノ協奏曲を解説しながら少し、確か中村紘子さんかが演奏した記憶がある。記憶違いでなければ第一楽章の有名なオスティナート主題は太宰治の『トカトントン』から採ったと覚えているが、勘違いかもしれない。見事な曲。

2015-06-14 15:45:12
nibuya @cbfn

余談。ここのところ変な頭痛、原因は慣れないヘッドホン生活、音楽嫌いの自己納得のために意地になって片っ端からCDを聴き流し続け。我ながら馬鹿げた律儀(?)さで、聴きもしないものを嫌いと言う矛盾は自分に認可しないという天晴れな誠実さ・・・なわけはないですが、意地になっているのは本当。

2015-06-16 01:32:40
nibuya @cbfn

例えばインド音楽でもクラシックと位置づけられるものは旋律体系からリズム体系まで異常な厳格さで規則化されていて音楽家個人の自由度は時計仕掛けにおける動力程度、それをどう判断するか。バッハのような人においてもそうであるか? 僅かの動力が加わるだけで音楽という地獄の機械は動き出す。

2015-06-16 01:43:52
nibuya @cbfn

「音楽地獄」、ボッシュ? パニアグア・イ・アトリウム・ムジケというスペインの古楽集団にボッシュの「音楽地獄」の住人の裸の尻に書かれた楽譜を演奏化したという触れ込みの面白いCDを持っていたはず。日本題は『臀上の音楽』、ダジャレだがうまく付けたものだと感心・・・はともかく。

2015-06-16 06:06:33
nibuya @cbfn

シューマンの交響曲などを聴くと何かあからさまに「機械」が機能失調を起こしている感じがする。マーラーになれば機械の機能失調を別の拡張によって「別の機械」へと向かわせようとすることになるのだろうが、シューマンではそれが悪く言えば無様、魅力を認めて言えば妙な不安定そのものとして置かれる

2015-06-16 06:16:36