二刀流が広まらなかったのは何故か?

二刀流という技術は、剣術史に於いて主流ではなかったことから、何かと特異な技術として扱われがちで、それ故に主流になれなかったという見方がありますが、あれこれ話してるうちに、技法以外のところに理由があるのではないか、という流れになったので、後々のメモも兼ねてまとめてみました。
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みんみんぜみ @inuchochin

@k_hisane @SagamiNoriaki わたしも最近教えて貰ったのですが、無二と関係がある青木某が江戸に道場をひらき鍋島家中に伝えたり、弟子が広めたり、と何ヶ所かで幕末か明治あたりまでは脈々と続いていたようです。

2015-10-25 02:16:48
みんみんぜみ @inuchochin

ある武術流派が広く他藩に広まるのは、江戸で教えて他国の人間が入門するパターンが多い。 あとは師範が浪人して移転するとか、国替えや養子縁組で移動するとか。このパターンだとポツポツと広がるだけだけど。

2015-10-25 02:26:32
神無月久音 @k_hisane

参勤交代がありますから、江戸の流派は地方に伝播しやすかったでしょうしね。あと、国替えでの伝播といえば、藩外不出という認識をされてる示現流も、そのデンで笠間に伝わってますねー。@inuchochin

2015-10-25 02:34:59
みんみんぜみ @inuchochin

@k_hisane 示現流が有名ですね。 国替は面白くて、東北の流派が何故九州に?と調べると一時期東北に国替えされてたり、とそんなパターンも結構あって面白いです。

2015-10-25 02:41:35
みんみんぜみ @inuchochin

宮本武蔵は江戸で教えていたと言われてるけど、たぶん一時期だけだし、ほとんど広がらなかったんじゃないか。青木某は江戸時代前期に何代か道場が続いていたみたいで、詳しくはわからないけど各地に伝わったみたい。

2015-10-25 02:29:37
みんみんぜみ @inuchochin

@k_hisane @SagamiNoriaki わたしも最近教えて貰ったのですが、無二と関係がある青木某が江戸に道場をひらき鍋島家中に伝えたり、弟子が広めたり、と何ヶ所かで幕末か明治あたりまでは脈々と続いていたようです。

2015-10-25 02:16:48
我乱堂 @SagamiNoriaki

@inuchochin @k_hisane 青木といえば鉄人流ですが、佐賀に伝わっていましたし、なんでしょうかね、九州は何か二刀流と相性がいいんですかね?

2015-10-25 02:21:45
みんみんぜみ @inuchochin

@SagamiNoriaki 鉄人流とか実手流という流派ですね。二天一流に比べるとやや全国規模ですね

2015-10-25 02:37:55
我乱堂 @SagamiNoriaki

『二刀流を語る』でも、孫引きでしか知りませんが、だいたいの二刀技法は武蔵以降、だいたい鉄人流の影響が大きいようなこと書いてるみたいですね@inuchochin 鉄人流とか実手流という流派ですね。二天一流に比べるとやや全国規模ですね

2015-10-25 02:40:57
みんみんぜみ @inuchochin

@SagamiNoriaki 武蔵が地方にいた以上、広まり様がないでしょうし。地方流派は基本的に国替えか師範が浪人して、とかでもないと広まらなかったようです。江戸詰めの武士が道場開いたりというのもあったみたいですが、これが許されるかどうかは藩によるのか、全く無い藩もあるようです

2015-10-25 02:45:46
みんみんぜみ @inuchochin

まあ、そんな状況から推測するに、二刀流が全国規模にならなかったのは「たまたま広まらなかった」だけじゃないかと。幕臣や関東の農村に二刀流が広まっていたら、全国に広まってた可能性も十分ありそうと思う。

2015-10-25 02:33:50

現時点でのまとめ

みんみんぜみ @inuchochin

まとめると、たぶん二刀流主体の流派は登場が他の主要流派より遅かった(慶長前?)上に、後の師範たちが比較的地方ローカルな活躍をしていた影響で全国に広まらなかった、だけのような気がする。何故なら二刀主体流派が伝わった地方では維新後まで伝わった例が多数ある。

2015-10-25 02:20:32
神無月久音 @k_hisane

ですね。二刀流関連の話題(特に一刀との比較)になると、流派の広まりと技術としての優劣が混同され、非主流であったことを以って二刀流には欠陥があると言われがちなのは、おかしな話であるよなあと思うところ。非主流なのは技法とは別の理由と見る方が妥当じゃなかろうかと。@inuchochin

2015-10-25 02:29:20
みんみんぜみ @inuchochin

@k_hisane 私も最近まで二刀流はやはりなにかが特殊だからあまり広まらなかったと思ってましたが、どうも伝わっていた地方ではずっと伝わってますし。社会的な理由じゃないかなあ、と思いだしました

2015-10-25 02:36:36
神無月久音 @k_hisane

.@inuchochin ただまあ、仮に全国に広まったとしても、二刀流が主流派になり得たかというと、それはどうかなーとも思うのですけどね。ただ、比率は今よりは上がりそうですし、そうなれば、各流派で対二刀の技法が色々編み出されてたでしょうから、面白そうなのですけど。

2015-10-25 02:43:05
神無月久音 @k_hisane

.@inuchochin ちと言葉が足りない感があるので補足すると、ここでの「二刀流が主流派になる」というのは、一刀の流派より二刀の流派の方が多い、てな意味です。二刀流の流派が成立した時点で、既に一刀主体の流派が数多く存在してるので、それらを塗り替えるってのは難しいでしょうし。

2015-10-25 02:49:27

補足

神無月久音 @k_hisane

二刀関連で流派の流行り廃りの話が出てたので、ついでに紹介をば 【剣術指南役というお仕事 - 「道場破りは召抱えの夢を見るか?」】  togetter.com/li/360705 【剣術指南の変遷 - 戦国時代と江戸時代の違い】  togetter.com/li/728992

2015-10-26 20:02:55
まとめ 剣術指南の変遷 - 戦国時代と江戸時代の違い 兵法(剣術)指南といえば、主なイメージは、「道場を構えた道場主が弟子たちに教授する」というものですが、では、実際のところはどうだったかについて、ざっくり書いたのをまとめてみたり。 追記:流派の相伝や正統についても追記しました。 28115 pv 59 3 users 1
まとめ 剣術指南役というお仕事 - 「道場破りは召抱えの夢を見るか?」 かつてあったお仕事「剣術指南役」についてつらつらと。腕に覚えのある浪人が剣術指南役になるにはどうすればいいのか?目の前には藩の現指南役の道場が。行け浪人!我が前に敵はなし! 【追記】 こないだ書いてなかったポイントとして「剣術指南役になるにはコネも大事」というのを追記しました。まあ、顔をしかめる方もおられるかもですが、視点を変えれば、「何故必要なのか」がご理解頂けるかと。 29798 pv 140 8 users 4
神無月久音 @k_hisane

さっきの2つは戦国期~江戸初期が主体なので、江戸後期~幕末の話も。 【江戸時代の道場破り】togetter.com/li/562143 近世以前は、刀や剣術が現代より遥かに日常に近かった訳ですが、逆に言えば、それだけ「社会」と絡んだ問題も多かった訳で、世知辛いやら面白いやらと。

2015-10-26 20:14:33
まとめ 江戸時代の道場破り 「道場破りに看板を取られた」なる記事をきっかけに、江戸時代において、道場破りは成立し得たのか、実際の剣術修行というのはどうだったのか、という話と、例外としての「不良御家人」勝小吉(海舟の父)の話などが続いたので、軽くまとめてみました。 110446 pv 709 153 users 64
神無月久音 @k_hisane

なお、このまとめでの他流試合の話で参考にしてる【剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む(永井義男)】amazon.co.jp/dp/402263006X/… は、二刀流である鉄人流の剣士、牟田文之助が主役でアリマス。本人の日記である事を割り引いても、かなり強かった様子。

2015-10-27 02:23:14
リンク www.amazon.co.jp Amazon.co.jp: 剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む (朝日選書): 永井義男: 本 Amazon.co.jp: 剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む (朝日選書): 永井義男: 本