渡邊芳之先生ynabe39の「自由と権利についてのツイートまとめ リンク」

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まとめ 「規制条例反対派の論では推進派の論には対抗できない」渡邊芳之先生ynabe39による東京都の表現規制条例についてのツ.. 「自分が無害と思う表現の規制には反対で,自分が有害と思う表現は規制されてもかまわない」のは「表現の自由を守ること」ではない。「自分が有害と思う表現が規制されることにも反対することで,結果として自分が無害と思う表現も守られる」のが「表現の自由を守ること」だ。 「有害であっても表現を規制すべきではない」という論を立てない限り勝ち目はない。 by 渡邊芳之 61376 pv 1747 133 users 433

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39による「納税と権利はセットでない」とのツイート 税金によって維持されている公共サービスについて,払っている税金の額の方が受けているサービスの費用よりも高額である人はむしろ少数派なのが現代の社会システムです。そこでは「納税が権利の基盤」であるわけではない。権利は誰にでもあるが,稼ぐと納税の義務が生じる。 7238 pv 25 1 user 4

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39による「差別を受けない努力をしてから言え,というのはすごい言葉」とのツイート でも「自分はなぜその努力をしなくていいのか」と考え始めればいろいろなことがわかると思う。 8061 pv 11 8

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分が気に入らない言論の自由がいちばん大事。」 日頃のつぶやき内容に同意するかどうかはともかく,早川先生の闘争は応援しないとならんな。by 渡邊芳之 https://twitter.com/#!/ynabe39/status/144331830227771392 早川先生がヘンテコなまとめに私のツイートを使うことについてはこのこととは別にそのうち文句を言おうと思っている。 https://twitter.com/#!/ynabe39/status/144375716367183872 「規制条例反対派の論では推進派の論には対抗できない」渡邊芳之先生@ynabe39による東京都の表現規制条例についてのツイート http://togetter.com/li/76112 18130 pv 59 3 users 352

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「人に迷惑をかけないことだけが自由の範囲だ」というのと「人に迷惑をかけるのも自由だがか.. 私は人に迷惑をかけます。だから人に迷惑をかけられてもできるだけ寛容でありたいと思います。 by 渡邊義之 私はあくまでも後者の立場である by 渡邊義之 8088 pv 16 1 user 1

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「他人が自分を批判する自由」を尊重しないと(自分自身の)言論の自由も将来的に縮小される」 言論の自由とは与えられるものでなくネゴシエーションの結果としての「状態」である by 渡邊芳之 4843 pv 18 2 users 6

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自由というのは基本的にぜんぶ他人の迷惑であると思ったほうがよい。」 「誰にも迷惑かけていないのだから俺の自由だろ」というのは「誰かに迷惑をかけるのであれば俺の自由ではない」という意味。しかし「誰にも迷惑をかけずに行使できる自由」などじっさいにはほとんどない。by 渡邊芳之 5108 pv 23 1 user 12

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分が否定したいものについては「マナーの悪い人」を基準に考え,自分が肯定したいものにつ.. じっさいには「マナーのすごく悪い人」がいるとその対策のために「マナーの良い人」の利便も失われてしまうというのはいろんな問題で起きることです。by 渡邊芳之 2609 pv 12 1

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「共産主義」や「人権と自由の尊重」を経由した「キリスト教の世界宗教化」は20世紀には成.. 「共産主義」がどうやら人をあまり幸せにしないことはわかってしまったが,こんどは「人権と自由の尊重」が人を幸せにするのかについて公然と疑問が呈されるようになった。by 渡邊芳之 1908 pv 2 1 user

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「何度でも言いますが「自分と考えの違う人は愚かである」という考えで行動する限り選挙には勝.. このまえ民主が勝ったのも今度自民が勝ったのも同じ仕組みの上で同じ国民が選んだことですよ。 by 渡邊芳之 43368 pv 339 159 users 64

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「ようは「自分の感情は好きで他人の感情は嫌い」なだけなんだろうと思う。 」 「それは感情論だ」という批判自体がそもそも「それが感情であること」を問題にしてはいないんだよね。by 渡邊芳之 3387 pv 7 2

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「「悪しき相対主義」とは「自分と同じ義憤を共有しないこと」である。」 自己関与のないことでは「価値が相対的である」ことを前提にしつつ自己関与のあることでは絶対的な価値を主張しようとすればとうぜん相対主義をいくつかに分けて特定のものを批判せざるを得なくなる。 8812 pv 11 4 users 1

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「すごく根本的なところで私は「いじめに反対する人の多くも,悪いやつならいじめてもよいと.. 朝から絡まれてるんじゃなくて、私が絡んでるんです。 「本人は悪くないのに攻撃されるのがいじめ」としてしまうと、「お前が悪い」とみんなに言われてしまえば終わり、となります。「本人が悪くてもいじめはいじめ」。 「落ち度があるからいじめてよい」「こちらが正義だからいじめてよい」というロジック自体を排除しないとダメなんです。本人に落ち度があってもいじめはいじめ、正義のためであってもいじめはいじめ。 by 渡邊芳之 6977 pv 8 2 users

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分に都合のよい相対主義を主張するならば,自分に都合の悪い相対主義も受け入れなければな.. 自分が価値をおいていないものが相対化されればよろこび、自分が価値をおいているものが相対化されれば怒る。 みんな都合がよすぎるよ,というのも私がツイッターを始めて3年かそこらのあいだ何十回も繰り返し言っていることである。 by 渡邊芳之 3950 pv 10 6

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の自由は好きで他人の自由は嫌い。表現の自由は「よい表現」だけについて認められて「悪.. 「ほんらい表現の自由の対象であるが社会的に必要な範囲で制限する」というのをヘイトスピーチや性表現・残酷表現などに適用することはその社会の歴史や現状からしかたがない場合があるとは思うが,それらを「そもそも表現の自由の対象ではない」と考えることには反対。 5264 pv 16 3 users 10

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分にはまったく理解できない理由であっても「それで困っている人」がいる場合には自分に害.. 自分が困っていることについては「理屈はともかくなんとかしてほしい」というのに他人が困っていることについては「それを変更することの意義は?」みたいに言うのもそれはそれで自分勝手なんだ。 by 渡邊芳之 4462 pv 15

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「グローバルに活躍するには国旗くらいつけておかないと。」 気になって調べてみると日の丸をアイコンの上下左右のどこに置くかはいろいろだなあ。 不快な隣人と共存したくない人はどんどんブロックしてください。 by 渡邊芳之 24689 pv 162 11 users 8

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の正義に合うデモは「正当な政治的主張」で,自分の正義に合わないデモは「社会の迷惑」.. 「自分の正義」を持っている限り必ず「ダブスタ」になります。自分が正義を持つこと自体を捨てない限り他人の正義は批判できない。 by 渡邊芳之 15266 pv 75 2 users 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「自分の気にいらない表現は表現の自由の対象ではない」といってしまったら表現の自由なんて.. 正義に基づく場合にはいい暴力と悪い暴力はあるんだし、正義は必要に応じて人権を制限する。「正義だから暴力じゃない」「正義だから人権侵害ではない」なんてことはないんで、暴力だけど正義だから認められるんだし、人権侵害だけど正義だから認められるんでしょうという話。 by 渡邊芳之 14989 pv 62 12 users 59

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「日の丸ははずしません。」 特定の人々には「ヘイトスピーチ」も戦術として認めたいからそれは「ヘイトスピーチ」という名前で呼ばないようにしたい,というのと昨日の「ヘイトスピーチに表現の自由などない」というのは「基本的に同じ話」だと思う。他の人には違う話に見えても自分には同じ話に見える。 by 渡邊芳之 13032 pv 21 2 users 6

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「悪い○○」を規制する法律があればだいたい「良い○○」も規制できる。」 「○○を規制する法律を作れ!」という時にはみんな「自分が規制して欲しいものだけが規制される」と信じてるんだ。 by 渡邊芳之 10217 pv 88 4 users 119

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「自分が憎むものが規制されて喜んでいたら同じ枠組みで自分の愛するものも規制されちゃった.. 「ヘイトスピーチは言論の自由を脅かすもの,だから言論ではないし自由ではない」といいますが,もともと誰かの自由が他の誰かの自由を脅かすというのは自由そのものがほんらい持っている特徴です。 「これは(正しい意図で行われているから)暴力ではない」というのと「これはいじめではない」「これは差別ではない」というのと何が違うのか。 by 渡邊芳之 5754 pv 16 3

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分と政治的にあるいは価値的に対立する人々の表現や言論の自由をどのように考えているか、.. 権利と権利は必ずぶつかりあう,自由と自由はかならずぶつかりあう,それを前提にどうやって各個人の自由をできるだけ多く保証するか,そのためのネゴシエーションをどのように行うか,というのが自由や権利の問題だという「自分の常識」がまるで常識でないことにはほんとうに驚いている。 by 渡邊芳之 4324 pv 25 1 user 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「他者の権利と対立するような権利は悪い権利」「自分の権利はそんな悪いものではない」とい.. 「権利の対立以前に権利が守られていないと」というけど、他者の権利と対立しないような権利、他者の自由と対立しないような自由は開闢以来ずっと「守られている」と思う。他者の権利と対立しないなら侵される心配もないんだから。 by 渡邊芳之 4152 pv 11 3 users 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「 まず「自分の感情は理不尽だ」ということを受け容れないと「親や大人の理不尽さ」を受け.. いろんな人のいろんなことに共通するのは「とても簡単に考えている」ということだし、簡単でなく考えてみると簡単に考える人が簡単に考えるのも仕方がないと考える。 by 渡邊芳之 6169 pv 22 3 users 3

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「人間以外の生命を殺して食べる」ということのすべてについて人間が責任を負い,倫理的な痛.. これと同じ構図が,ヘイトスピーチ規制と表現の自由の問題にもあるように思う。 ヘイトスピーチにも表現の自由はあるが倫理や社会的同意に基づいて制限することはできるという考え方と,ヘイトスピーチにはもともと表現の自由はないから規制してもかまわないのだという考え方の対比と,生命の尊厳についていま述べた対比はパラレルに見える。 by 渡邊芳之 4160 pv 8 1 user

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「田舎の交通が不便だと言うと「好きで住んでるんだろ,嫌なら都会に住め」と言われるが,都会.. 人権を「フルスペック」で享受できている人とそうでない人が現実にいるという話と,行政がフルスペックの人権を与えるべき人とそうでない人を選別するというのはまったく別の話だが,混同されるんだろうな。 by 渡邊芳之 7612 pv 8

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「もともと自分の自由は他人の自由と対立するものだし,自分の権利は他人の権利と対立するもの.. ようはみんな自分が好きなことをする権利はもともとあるもので制限されるには理由が必要だと思っているが,他人が自分の気に入らないことをするのは権利ではないと思っているんだろうと思います。 by 渡邊芳之 8776 pv 43 4 users 4

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「表現の自由など誰も守りたいと思っていない」というのは痛感しているところである。みんな.. ただ「表現の自由」という言葉だけはみんな大好きで、なんとか自分の好きな表現だけを「表現の自由」の対象にしようと争っている状態。 by 渡邊芳之 8566 pv 71 4 users 8

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「まあ「自分のことはさておき」というのは基本中の基本だよね。」 自分より明らかに優れている人を自分以外のもっと優れた人と比較してdisるというのは面白い仕組みだ。 by 渡邊芳之 2445 pv 3

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「素朴な正義感というのはだいたい反近代である。」 近代の法律というのは「悪人を減らすため」よりも「誰かに悪人だと思われただけでどんどん殺されてしまわないため」に整備されてきたのではないか。 by渡邊芳之 11487 pv 90 44 users 18

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「いじめを外形的な行為だけから定義することはできない,というのはずっと前から言っている.. 「明らかな暴行や脅迫や名誉毀損などはいじめと呼ぶのをやめよう(犯罪として扱おう)」という話と「明らかな暴行や脅迫や名誉毀損でないものはいじめと呼ぶのをやめよう」というのはまったく別の話。犯罪は犯罪として扱っても「犯罪にはならないいじめ」は必ず残る。 「ハラスメント」や「いじめ」は被害者の主観のみによって成立可能だというのが沼崎先生の論文にもあったように2000年ころ以降の基本的な考え方になっていると思います。 by 渡邊芳之 4638 pv 25 2

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「私も「いじめかどうかは(最終的には)多数決で決まる」と考えているのでその点には特に異.. 正義だったら人を殺したっていいということも歴史や社会の現状を見ればわかる。 問題はその正義が「ローカル」であることを、その正義を主張する人、それに基づいて人を殺す人が気づいていない、あるいは認めない場合だろう。 by 渡邊芳之 6241 pv 30 1 user 9

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「「いじめの定義」がまた増えたぞ。」 ここで「この法律において」と書かれているのが大事で,この定義は「この法律が対象とするもの」を明示するために行われているだけで,この定義にあてはまらないものはいじめでないといっているわけではない。単にそれはこの法律の対象にならないだけ。 しかし現実的にはこうした定義にあてはまらないことが「それはいじめではない」といわれる根拠になることは少なくないと思う。 by 渡邊芳之 3854 pv 15 3

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「正当な批判だったら私刑をしてもよい主義者撲滅。」 「いじめられるような原因があるのだからいじめられてもしかたがない」「悪い子なんだからいじめられてもかまわない」というのが「明言されない常識」である限りはいじめはなくならないと思う。 「何の非もない罪もない人が攻撃されるのがだけがいじめで,その人に非や罪がある場合は正当な批判」と言っているうちはいじめはなくならない。 「正当な批判」であっても制裁は法に基づいて公権力が行うべきで私刑はダメ,というのがいちおう近代社会のしきたりだよね。 by 渡邊芳之 32687 pv 204 28 users 23

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「他人の自由の多くは自分にとっては迷惑でいやなもの。」 「こんなのは言論の自由の範囲ではない」とか回りくどいことを言わないで「自分は他人の自由が嫌いだ」とはっきり言えばいいと思う。 by 渡邊芳之 7121 pv 60 1 user 6

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「こちらが正義だから暴力ではない」とか「自分が正しいんだから攻撃ではない」なんてことは.. 「他人の間違いを正そうとする」ということ自体が「攻撃」だということです。日常生活で他人の間違いを指摘しようとするときにはその覚悟が必要。 「攻撃」という言葉だけ見て私が「他人の間違いを指摘してはいけない」と言っていると感じる人がこんなに多いんだなあ。私は基本的に「場合によっては暴力賛成,場合によっては攻撃けっこう,ただしやってることが暴力である,攻撃であるということは意識しましょう」と言っているだけです。 by 渡邊芳之 12416 pv 101 20 users 8

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の好き嫌いが尊重されなくても相手を「悪」だと思うことは少ないが,自分の義憤が尊重さ.. 他人に尊重されたい,という社会的欲求はもともと生存と直接に結びついていたものだと思う。 人々が科学的に考えることが(個人レベルでなく)社会レベルで適応的な時に、科学的に考えるためのコストを個人にだけ負担させるのだと、個人の認知は簡単には変わらないだろうとも思う。 by 渡邊芳之 3663 pv 15 2 users 7

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「自由はすばらしいものだ」と思っているからすばらしくない自由は認めたくなくなる。」 他人の自由なんてもともと不快で危険なものだ,その不快で危険な他人の自由が守られるのが自由な社会だ。 「法律で禁じられていない限りなにをやってもかまわない」という「不道徳」と自由はもともとごく近いところにある。 by 渡邊芳之 2327 pv 9 1

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「他人に迷惑をかけていない」ということだけが「自由の根拠」だとすれば自由のために他人の.. 「自由はすばらしいものだから制限されてはいけない」と考えるから自由の範囲を狭く考えたくなるんで,「自由はすばらしいがそのいっぽうで恐ろしいものだ」「自由の恐ろしい面はそれなりに制御すべきだ」と考えることが大事だと思います。 だから「自由」と呼ぶのをやめて「自分勝手」と呼ぼう,というのが私の意見。それならプラス面マイナス面がちゃんとイメージできる。 by 渡邊芳之 5083 pv 11 1 user 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「いじめられる側に原因があってもいじめちゃダメ,悪い子であってもいじめちゃダメ,というだ.. これはつまり「仇討ちはなぜ禁止されているのか」という話なのだ。 誰かの「罪」を法的手続きによらずに私的に制裁する,ということをまったく禁じてしまったら,それこそ家庭も子育ても学校も成り立たなくなるだろう。しかし近代社会はそうした私的制裁が許される範囲を非常に狭く定めているし,範囲は年々狭くなっている。 ある程度の私的制裁が認められやすい範囲としては親子関係,教師と生徒,ごく親しく規範を共有した小さなコミュニティ(たとえば家族)などがあると思うけれど,そこでも私的制裁が虐待とかハラスメントと呼ばれない範囲は年々どんどん狭くなっている。 by 渡邊芳之 13695 pv 26 2 users 4

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「正義感に高揚した顔の恐ろしさというのが20世紀の歴史。」 ロシア革命の映像にも、ナチのイベントの映像にも、戦争直前の日本にも、1960年の日本にも、カンボジア革命にも、ユーゴ内戦にも、ここ最近のデモにも、われわれが共通して見るのは正義に高揚した美しい顔だよね。 by 渡邊芳之 3656 pv 10 2 users 2

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「人権は「思いやり」じゃないですよ。」 人権に人気がないのはある意味あたりまえで,人権の尊重はしばしば「庶民感覚」や「常識」と矛盾するのだ。 by 渡邊芳之 6169 pv 43 1 user 3

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「いま現在の世の中で「同じ人間なのだから」という理由で同じ権利や福利を享受している人々の.. それがいまわれわれが「同じ人間」だと思っているものの外側へも広がることはいくらでもありうることだ。動物の権利とか動物福祉の議論はそのひとつなのかもしれない。 by 渡邊芳之 4851 pv 16 3

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「寛容というのはけっこうな贅沢だということに尽きる。」 これだってようするに「正義の鉄槌」なのだ。 たしかにこの話には「じゃあどうだったらいちばん望ましかったのか」が欠けている。 by 渡邊芳之 29539 pv 78 16 users 10

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「誰から見ても悪いことをしている人」は司法によって裁かれる,そういう人が裁かれないなら.. 気持ちよく安全な社会を守るためのしくみがその反面で人を苦しめ殺しているということはじっさい枚挙にいとまがないんだ。 by 渡邊芳之 6242 pv 7 4

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「どんなにその制裁に同意する人が多かろうが制裁に参加する人が多かろうが「法的根拠によらず.. 「ひとりでやるのが私的制裁でみんなでやったら私的制裁ではない」ではないです。国や行政機関が法に基づいて行うのでない制裁はすべて私的制裁。 by 渡邊芳之 9101 pv 61 8 users 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「ことさように正義とは原理的にダブルスタンダードなものである。」 明らかな犯罪者だって弁護士によって弁護される権利があるわけで、弁護士を頼むこと自体にケチをつけるのはさすがにおかしい。日頃は死刑反対とか冤罪批判とかしてるような「リベラル」な人が自分のアイデンティティの絡む問題になると「悪者に権利はない」と叫び始めるのを見るのはつらいね。 by 渡邊芳之 7013 pv 26 1 user 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「ただし、場合による」 「われわれは「原則として」と書いてあったら実際にほとんどの場合はその通りにならないというのに慣れすぎていると思う。」 by 渡邊芳之 2589 pv 7 1 user 4

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「この「意図してない差別」は批判されるべきでないのか,というのは実はかなり大きな問題だ。」 だからさあ「この言葉を言ったら差別になる」とか「この言葉なら差別にならない」なんてないのよ。あなたが差別してればどんな言葉も差別になるし差別してなければどんな言葉でも差別じゃないのよ。 by 渡邊芳之 13449 pv 57 9 users 6

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「人権が侵害されている国に爆撃機を飛ばして爆弾を落とす。」 というか,われわれは気に入らない国の気に入らない文化を批判するときには欧米的な人権概念を利用するいっぽうで,日本の文化が悪く言われたときには「文化の差であって良し悪しではない」と言いやすいのではないか。 by 渡邊芳之 4016 pv 10 2 users 3

まとめ 渡邊芳之先生 ynabe39 の「「間違った考えや思想を発表することは制限してよい」ということにすると次は自分も制限.. なんて言ったら「これはアカデミアの問題でなく社会の問題だ」というかもしれないけれど,同じ人が他のところでは社会の問題になっていることを「アカデミアの問題」として解くことに躍起になっていたりするのが不思議なのだ。by 渡邊芳之 8229 pv 55 14 users 8

まとめ 渡邊芳之先生 ynabe39の「なにかが「正当」かどうかなんて結果によってしか決まらないよね。」 「気に入らない人や物の悪口をいう権利」は最大限に認められるが「気に入らない人を黙らせる」「気に入らない物を禁止する」ことは法律に基づかないといけない。by 渡邊芳之 5760 pv 11 4

まとめ 渡邊芳之先生 ynabe39の「しばらく「遠くにいて顔の見えない人々」の側で暮らしてみると自分の意見も大きく変わる。」 「ポジショントーク」が悪いのではなくて,ポジショントークをしているのに自分でそれに気づかずに「公正公平な意見を言っている」と信じていることが悪い。ポジショントークになること自体は避けようがないのである。 by 渡邊芳之 3228 pv 9 1 user 11

まとめ この松島法相の発言を読んで「その通りじゃないか,なにが間違ってるんだ」と思う人が68%(当社調べ)。 松島みどり法相の見解は、日本人の多くが心の底に持っている「世間から普通と認められる人は犯罪などしない」「世間から普通と認められている人がすることは犯罪ではない(イジメとか)」「世間から普通と認められていない人に人権は必要無い」価値観の素直な反映だと思われる 52002 pv 244 55 users 358

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「非科学と時代錯誤」がまさに「民意」の時代じゃないですか。」 「普通の考え方」をきちんと抑制して殺し合いを防ぐのが文明。 by 渡邊芳之 7035 pv 32 1 user 9

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「目立ったり知らない人に写真を撮られたりしたくて街頭をコスプレして歩くんでしょ?」なん.. 「好きなことはやりたいが目立ちたくない,見てほしくない人に見られたくない」というのはひとつの時代精神だよね。「目立ちたがり」というのはなんらかの屈折を経ないと成立しなくなった。 by 渡邊芳之 6146 pv 40 1 user 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「生者の権利、死者の権利、動物の権利、モノの権利。」 「死後裁かれる」はもともと「この世の評価ではない究極に正当な評価によって報われる」ことに意味があるんだからね。 by 渡邊芳之 3122 pv 7 1 user 5

まとめ 渡邊芳之先生 ynabe39 の「人に嫌な思いをさせても悪気がなければ罪一等を減ずる,という常識が廃止されたんですよ.. 自分自身はこの「ハラスメントの概念」には「ほんとにそれでいいの?ほんとにこれからぜんぶそれでやっていけるの?」という違和感というか不安というかがどうしても捨てきれない。by 渡邊芳之 7668 pv 42 5 users 3

まとめ 渡邊芳之先生 ynabe39の「「自分が許せないと感じる種類の犯罪だから有罪の場合にもっと量刑を厳しくしろ」というの.. 犯罪の種類によって事実認定が緩くなったり厳しくなったり裁判のやりかたが変わったりしたらまずいだろう。道徳的倫理的に許せないから「特に厳しく罰しろ」というなら裁判に文句を言うのではなく法律を変えさせるべき。 by 渡邊芳之 3738 pv 15 2

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「表現というのはもともと人の行動や考えに影響を与えるものだし,そうでなければ表現の存在意.. 問題は「害があること」イコール「禁止・制限すべき」ではないということだ。ギャンブルにはかなり明らかな害があるし,酒やタバコにもさまざまな害があるが,ギャンブルや酒,タバコは禁止されてはいない。 by 渡邊芳之 2974 pv 19 2 users 7

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「ヘイトスピーチ規制は表現の自由の規制に決まってます。」 でも必要であり社会的同意があればそれは可能だし、私はすべきだと思いますよ。 by 渡邊芳之 3704 pv 14 3 users 5

まとめ 【感情の権利化】渡邊芳之先生ynabe39の「知り合いが多くてみんなに好かれている人は罪を犯しても刑が軽くなるんじゃ.. 大学生の時に知り合いの親の「減刑嘆願書」というのに署名を求められて断ったら人でなしという顔をされたのを思い出した。そういうのは基本的におかしいと思うんだ。 6785 pv 52 4

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「道徳の教科書なんて江戸しぐさに限らず「全部ウソ」「ウソを教えるためのもの」なんだから江.. いま江戸しぐさに怒ってる人のうちたとえば天孫降臨が教科書に復活した時に「歴史学的に間違っている」と公言できる人がどれだけいるのよ、と思うんですよ。disっていいウソとdisると危ないウソはみんなちゃんと区別している。 22406 pv 257 9 users 11

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39 の「「言論の自由を守る」ことが目的のテロが起きたらそれになんと言うか。」 この問題で「言論の自由を守れ」というのが「疑いようのない正義」だと思うのはちょっと楽観的すぎるのではないか。正義だと思っているから(自分が正義だと思っていない)安倍さんがそれを言うのに「お前が言うな」と言うんでしょう? 17061 pv 78 3 users 7

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「宗教はほんらい平和を愛するもの」という世俗化が好ましく望ましいのなら「自由や権利はほ.. 互いに対立して殺しあうという宗教の歴史を「平和を愛する」みたいなことでカバーして共存しようとするのと、同様に互いに対立し合う権利や自由を「愛と思いやり」でカバーして共存させようとするのって共通点があるのではないか。 4348 pv 8 1 user 6

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「外側の人間とは高い城壁で遮られながら壁の内側では類人猿にすら人権がある未来都市ってすで.. 異教徒や異民族が人間でなかった時代には、自分の社会の中でも障害者や狂人、ときには女や子どもも人間ではなかった。近代以降に自社会の中で女や子どもが人間と位置づけられ、障害者や狂人もやはり人間と位置づけられていく歴史と、異教徒や異民族を人間と位置づけていく歴史はおよそ連動している。 3326 pv 3 1 user 3

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「ことさように「人権の時代」なのである。」 「反差別」とか「人権」が左側の主張だけでなく右側の主張の根拠としても盛んに用いられるようになったのがこの数年の大きな変化だろうが、それ自体はいいことなんじゃないかと思う。 2278 pv 4 1

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「なにかの病気や障害によって痛みを感じなくなった人は蹴ってもよいか。」 話題】「ロボット犬を蹴らないで!」「可哀想」 グーグルのロボットの安定性テストの動画が、倫理めぐる議論に 3028 pv 6 1

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「人の道ワールドでは戦争は繰り返されなければならない。」 「日本の文化では死んだらみんな神様になる」というのを正面から批判したらどうなるかという話。 7298 pv 12 1 user 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「暴力反対」なんてことを簡単に言ってはいけないのである。」 この20年くらいの間の日本人に「目的の正しい暴力」への嫌悪が著しく強まっていることは考慮しないとうまくいかないと思う。 7025 pv 18 1 user 2

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「例え話でしか説明されないことは信じるべきではない。」 「戦争に反対する人は自分の家族が全員敵に殺されてもそう言えるのか」「熊を保護しろという人は自分の家族が全員熊に殺されてもそう言えるのか」「喫煙に寛容になれという人は自分の家族が全員肺がんで死んでもそう言えるのか」などなど。 7456 pv 25 7 users 4

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「まあ「常識」とか「人の道」みたいなことを匿名で言ってくることには違和感はあるね。」 まあ匿名などで「自分はリスクを負わずに発言すること」が認められるのはその発言の内容が常識的で他の人にも同意される内容であることが前提なのかもしれないね。by 渡邊芳之 2927 pv 8 2 users

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「平等」というのはけっして「すべてが同じである」という意味ではないのだろう。」 しかし「まったく同じ」ことでなく「責任に応じた結果が与えられる」ことが「平等」であるとしても,やはり私が生きていて同い年の他の人が死ぬのは「不平等」だろうなあと思う。じっさいさまざまなことは現実的に不平等である。by 渡邊芳之 1692 pv 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「目の前にいる人が喜ぶことを言うのがうまい人」というのはそれを追求するうちにどんどん極.. 「目の前にいる人が喜ぶことを言う」のに特化している人は酒席での放言のようなことを公の場でもいいがち。それがウケると思っている。 5163 pv 17 2

まとめ 「迷惑だ!」と思った時点で自分が絶対の正義になっちゃうみたいな感覚がおかしい。これも「感情の権利化」だと思う。 「迷惑だ」という理由だけでなぜこんなに激しく他人を罵倒できるのか。それも自分が具体的に迷惑を被ったわけでもなく単に「だれかの迷惑だろう」というだけで。 14519 pv 60 1 user 206

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「ことさように「内心の自由」だって常識ではないのだ。」 内心ではいくら差別しようがヘイトしようが自由だ,それを実行したり公共の場で述べたりすることだけが責められる,ということは何度でも確認しておかないといけない みんな意識と行為を区別しないくせに意識も行動だというとみんな反対するのである。 2772 pv 6 2 users 1

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「普通の人が普通に正しいと思うこと」を社会の人数分合成すると誰も生き残れないような結論に.. 自分たちが文句を言って潰したものがどれだけ自分たちを守ってくれていたのかを知るようになる。 3078 pv 13 4

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「そんなの自由でも表現でも権利でもないからいくら制限してもなんの問題もない」というような.. 自分は「自由でも表現でも権利でも公共の福祉の観点から最小限の制限を設けることはできる」と考えるので、制限したり規制したりすべきものを自由や表現や権利から除外する必要はないと思う。 同時に、どんなにひどいことで明らかな被害者がいるという理由であっても、なにかを制限したり規制したりすることはつねに「自由や表現や権利の制限」であるから、慎重であるべきだし最小限であるべきだと思う。 6079 pv 36 4

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「知らない人に無断で写真を撮られたらイコール盗撮、というくらいの感覚が普通になっていると.. つい10年ほど前までは知らない人の日常生活の写真を勝手に撮るのはとくに犯罪とは考えられていなかったし「盗撮」とも言われなかった。アサヒカメラなどの写真専門誌の読者投稿欄にはそういう「スナップ写真」があふれていた。 13143 pv 34 8

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「ほんとにみんな「他人の表現の自由」が嫌いなんだなあというのが実感である。」 表現の自由の制限についても私的制裁はダメ、法に基づくべき、というのは同じです。 28126 pv 227 62 users 33

まとめ 川崎介護殺人 人生のはじめの保育と終わりの介護がまったく同じ話になってしまっている。 まともな人は他の仕事を選ぶようになっていくとしたらその原因はなにかという話 12726 pv 72 2 users 10

まとめ 小生達が子供の頃は、正直保育園ってまさしく『保育に欠けた』片親貧困世帯のセーフティネットみたいな福祉色の強い施設だっ.. ※お断り 題名及び説明は収録してあるツイートを採用しております。 それがいつの間にかエリートパワーカポーや専業主婦までが育児プラットホームとして補助金貰える認可保育園利用させろとか言い出すとそりゃ足らんわな。 https://twitter.com/_Jiro70/status/701563326937956352 だからもう当時のままの入園基準ではダメなんだよね。福祉であることを諦めるか、福祉として機能させるために基準を見直すかどっちかしないと今はパワーカップルのためのおいしい制度になっちゃってる https://twitter.com/nihonnouen/status/701582195874336768 自分以外にも違和感を感じている人が少なくないように見えるのですが、見出しから片親というのを.. 55462 pv 139 36 users 31

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「昔は「貧乏な家に生まれても教育を受ければ貧乏から抜け出せる」というのが「環境論」だった.. アニメや漫画の主人公の持つ「力」も「努力」「根性」から「生まれつき」「血統」「前世」などにシフトしたのではないか。 71330 pv 481 71 users 386

まとめ 勉強も運動も家庭の資源がものを言うようになると「勉強は苦手だが運動は得意」というのも成り立たなくなってくる。 田舎で生まれ育ったら自然や動物に触れるチャンスがいっぱいとは限らないんで、親や大人が連れ出さなければ家の中は都会でも田舎でも同じなんだよね。 7211 pv 49 7

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「一度も生殖しないまま死んでいく人がどんどん増える。」 「ほんらい生の一部であり生殖が生活から切り離される」というのはペットだけでなくまさに人間でもどんどん進んでいることだ。 123129 pv 437 61 users 48

まとめ しかし生活保護にしても刑務所にしても「他人が衣食を保証されること」に嫉妬する人が多いのはそれだけ衣食を保証されない人.. 刑務所がおかしいんじゃなくて娑婆がおかしくなったんですね。 17543 pv 178 7 users 20

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の好きなことは誰にも迷惑をかけていないから自由だ,という主張は「迷惑だ」という人が.. 同じことを繰り返し言っているけれども3年前には10ツイート必要だったことが3ツイートで言えるようになっている。 7902 pv 33 4 users 3

 
 

渡邊芳之 @ynabe39

千の風になって。

北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39

渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之

渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html